本当は、

マシュマロが乗った可愛らしいココアが飲みたかった。

 

某コーヒーショップに入って温かい飲み物を頼もうとしたら、

冬季限定であろうカフェ・ショコラという美味しそうなココアの看板が。

並んでる人は、私の前に一人、そして私の後ろに二人。

普段注文するとき、

目の前にいる店員さんを待たせてはいけない…

はやく注文しないと列が伸びてしまう…

と思い、メニュー表を見て、焦る焦る。

しかし今日という日は、もう注文するものが決まっているのだ…勝ったも同然、この勝負…!(勝負でもないものを勝手に勝負事にしたがる)

なんて思っていたら私の注文をとろうとする店員さん。

メニュー表も見ず、なぜか少し誇らしげに、

「カフェ・ショコラのSサイズください」

と一言。

「340円です」

ポケットから550円を出す、ついでにメニュー表に目をやった。

もちろん冬季限定であろうカフェ・ショコラの写真は大きく載せられていた。

そこまでは良かった、とても良かった、そこまでは。

 

その数秒後、愕然とした。

 

注文したカフェ・ショコラの隣には、ココアの上に複数のマシュマロが乗っているマシュマロ・ショコラの写真と文字が。

 

メニュー表なんて見なきゃ良かった・・・

 

まだ作り出す前だったため、今なら変更することも可能だったが

店員さんのレジを打ち直す手間、数秒のタイムロス、そして後ろに並ぶお客さんたちが苛立つことをを想像したら、

呑気に

「やっぱりマシュマロ・ショコラで…」

なんて言えなかった。

 

結局その日は、誇らしげに頼んだカフェ・ショコラをのんだ。美味しかった。

 

 

 

それにしても、周りの目が気になる。

 

私は、ずっと、もっと自分はできた人間だと思っていた。

人一倍優しく、責任感もあり、なんでも器用にこなす・・・・

そんな人間だったはずなのだ

いや、今考えてみれば、そう思い込んでいたのかもしれない。

本当は ギターだってもっと上手に弾けたはずだし、

もっと面白い歌が作れたはずだし、

もっと綺麗な絵が描けたはずだし、

もっと人を引き込むような文章が書けたはずだし、

私はもっと面白く生きていくつもりだった。

 

だけど、

いつでも誰にでも優しくなんてできない、嫌いな人だっている、

楽な方ばっかり考えて、適当に、なんとかやっている、

自分の、ギターも歌も絵も文章も、あるとき突然つまらない退屈なものに思えた。

 

でも、そのとき私は、悲しくなんてなかった、

むしろ安心したのだ。

 

私は普通の19歳の女の子なんだ、

特別可愛くなくても、面白くなくても、なにも出来なくても、

幸せになれるんだ、普通の、正常な、幸せを感じられる心があるのだから。と

 

 

その日から、ステージ上で叫んだり走り回ったり頑張ったり、

同世代のシンガーソングライター、美大生、アートワーク、趣味:カメラ、被写体などのネットストーカーをしたり、

電車のなかで鼻にティッシュをつめたり、冷えピタを貼って外にでたり、風鈴を持ち歩いたり、

そういう日常がぱったりなくなった。

 

 

周りの目をきにして、迷惑にならないように、

相手のためになるように、愛する人を真っ直ぐ愛し、愛され、

小さな幸せから大きな幸せまで、きちんと感じられるようになった。

 

常識というものが存在するくらいなのだから、

周りの目を気にすることは、普通のことだろう。

私はこれから、そうやって生きていくし、その度、普通の女の子なんだ と安心するのだろう。

 

 

自分自身に自信を失ってしまったようだけれど、

今もこれからも、ずっと幸せでい続けられる自信だけはある。

 

 

これは、十分普通じゃないのかもそれない・・・・