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カラスなぜ鳴く(泣く)の?
このような冒頭のうたがある。
私がカラスだったら、放っておいてほしいものだ。
いつからか、泣いたら負けだと思いがちで、泣いてるときは一人でしくしく泣きたいと思うようになった。
理由はいくつかあるけれど、1番の理由は、涙が溢れでているときは、理性が感情に負け、言葉も上手く出てこないし、自分以外のことは大抵考える余裕がないし、もう、いっぱいいっぱいになってしまうからだ。
だから、なぜなくの?なんて聞いてこないでほしい。
しかしとんでもなく捻くれた生き物で、見て見ぬふりをされるととても悲しい。
泣く という行為は、言葉と同じくらい、いやそれ以上の感情表現になるからだ。
じゃあ、どうすればいいの?
と聞かれても、困ったことに、自分ではわからない。
この世には、正解なんてなく、どうしようもないことがたくさんある。その中の一つが、人の心と、心の動きなのでは と思う。
日々いやだなあと思うこと、深く傷つくこと、フツフツと湧き出てくる怒り、全部行き場のない、どうしようもないものたちだから、そっとゴミ箱に捨てられたらいいな
ちなみに、泣くことと怒ることは、とてもよく似ている。
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本当は、
マシュマロが乗った可愛らしいココアが飲みたかった。
某コーヒーショップに入って温かい飲み物を頼もうとしたら、
冬季限定であろうカフェ・ショコラという美味しそうなココアの看板が。
並んでる人は、私の前に一人、そして私の後ろに二人。
普段注文するとき、
目の前にいる店員さんを待たせてはいけない…
はやく注文しないと列が伸びてしまう…
と思い、メニュー表を見て、焦る焦る。
しかし今日という日は、もう注文するものが決まっているのだ…勝ったも同然、この勝負…!(勝負でもないものを勝手に勝負事にしたがる)
なんて思っていたら私の注文をとろうとする店員さん。
メニュー表も見ず、なぜか少し誇らしげに、
「カフェ・ショコラのSサイズください」
と一言。
「340円です」
ポケットから550円を出す、ついでにメニュー表に目をやった。
もちろん冬季限定であろうカフェ・ショコラの写真は大きく載せられていた。
そこまでは良かった、とても良かった、そこまでは。
その数秒後、愕然とした。
注文したカフェ・ショコラの隣には、ココアの上に複数のマシュマロが乗っているマシュマロ・ショコラの写真と文字が。
メニュー表なんて見なきゃ良かった・・・
まだ作り出す前だったため、今なら変更することも可能だったが
店員さんのレジを打ち直す手間、数秒のタイムロス、そして後ろに並ぶお客さんたちが苛立つことをを想像したら、
呑気に
「やっぱりマシュマロ・ショコラで…」
なんて言えなかった。
結局その日は、誇らしげに頼んだカフェ・ショコラをのんだ。美味しかった。
それにしても、周りの目が気になる。
私は、ずっと、もっと自分はできた人間だと思っていた。
人一倍優しく、責任感もあり、なんでも器用にこなす・・・・
そんな人間だったはずなのだ
いや、今考えてみれば、そう思い込んでいたのかもしれない。
本当は ギターだってもっと上手に弾けたはずだし、
もっと面白い歌が作れたはずだし、
もっと綺麗な絵が描けたはずだし、
もっと人を引き込むような文章が書けたはずだし、
私はもっと面白く生きていくつもりだった。
だけど、
いつでも誰にでも優しくなんてできない、嫌いな人だっている、
楽な方ばっかり考えて、適当に、なんとかやっている、
自分の、ギターも歌も絵も文章も、あるとき突然つまらない退屈なものに思えた。
でも、そのとき私は、悲しくなんてなかった、
むしろ安心したのだ。
私は普通の19歳の女の子なんだ、
特別可愛くなくても、面白くなくても、なにも出来なくても、
幸せになれるんだ、普通の、正常な、幸せを感じられる心があるのだから。と
その日から、ステージ上で叫んだり走り回ったり頑張ったり、
同世代のシンガーソングライター、美大生、アートワーク、趣味:カメラ、被写体などのネットストーカーをしたり、
電車のなかで鼻にティッシュをつめたり、冷えピタを貼って外にでたり、風鈴を持ち歩いたり、
そういう日常がぱったりなくなった。
周りの目をきにして、迷惑にならないように、
相手のためになるように、愛する人を真っ直ぐ愛し、愛され、
小さな幸せから大きな幸せまで、きちんと感じられるようになった。
常識というものが存在するくらいなのだから、
周りの目を気にすることは、普通のことだろう。
私はこれから、そうやって生きていくし、その度、普通の女の子なんだ と安心するのだろう。
自分自身に自信を失ってしまったようだけれど、
今もこれからも、ずっと幸せでい続けられる自信だけはある。
これは、十分普通じゃないのかもそれない・・・・
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気になるあの子は、成人式に出席していないようだった
1月9日、地面は少し濡れていたものの、雨はすっかり上がっていた
なんでもない、普通の朝
おじさんはみんな振袖姿を見たく思い、おばさんはみんな若さを羨ましく思っていた
大人は言う、成人式は一生に一度しかない、大切な式だと
一生に一度 よりも、いつもの毎日 が好きな私は、いつも通り働いて、いつも通り好きな人とお家に帰って、いつも通り美味しいごはんを食べて眠った
背伸びをして未来に向かって手を伸ばす、描き終わったものを高々と見下ろす、今どちらでもない私は、毎日地面に足をつけながら一歩一歩進んでいる
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毎日がびっくりするほど幸せな私だけど、無性に好きだった友達に会いたくなる。(今も好きだけど)
でも、何ヶ月も何年も会っていないということは、お互いが存在しなくても支障がなく、全く別々の日々を送っているのだと考えると、簡単に会おうだなんて言えないものだ。
きっとみんな、少しづつかもしれないけど変わっているだろうし、少しづつかもしれないけど前に進んでいるだろうし、それは私も同じだもん。
ふ〜。年末になるね