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カラスなぜ鳴く(泣く)の?

 

このような冒頭のうたがある。

私がカラスだったら、放っておいてほしいものだ。

 

いつからか、泣いたら負けだと思いがちで、泣いてるときは一人でしくしく泣きたいと思うようになった。

理由はいくつかあるけれど、1番の理由は、涙が溢れでているときは、理性が感情に負け、言葉も上手く出てこないし、自分以外のことは大抵考える余裕がないし、もう、いっぱいいっぱいになってしまうからだ。

だから、なぜなくの?なんて聞いてこないでほしい。

 

しかしとんでもなく捻くれた生き物で、見て見ぬふりをされるととても悲しい。

泣く という行為は、言葉と同じくらい、いやそれ以上の感情表現になるからだ。

 

 

じゃあ、どうすればいいの?

と聞かれても、困ったことに、自分ではわからない。

 

この世には、正解なんてなく、どうしようもないことがたくさんある。その中の一つが、人の心と、心の動きなのでは と思う。

 

日々いやだなあと思うこと、深く傷つくこと、フツフツと湧き出てくる怒り、全部行き場のない、どうしようもないものたちだから、そっとゴミ箱に捨てられたらいいな

 

ちなみに、泣くことと怒ることは、とてもよく似ている。

 

 

 

 

 

尾崎豊が流れるキッチンから包丁の

トントントン

という軽快な音が聞こえる。

 

最近の私は、こたつの中で春を待っているばかりだ。

トイレ以外、こたつから出たくない。

モチベーションが上がっているときに申し込んだユーキャンのボールペン字講座だって、開くのさえ億劫で仕方ない。

何もやる気が起きない、ただただ眠って起きて、うーん、そうだなあ、生きてるというよりも、息をしてるという感じかなあ。

 

あ、このままだと腐っていく、錆び切って、若さなんてなくなって、残るのは虚しさと老い。

って思うけど、あ〜好きな人がいれば平気かな〜なんて思い直せるくらいの現状です

 

 

こんな季節もあるよ

 

 

 

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本当は、

マシュマロが乗った可愛らしいココアが飲みたかった。

 

某コーヒーショップに入って温かい飲み物を頼もうとしたら、

冬季限定であろうカフェ・ショコラという美味しそうなココアの看板が。

並んでる人は、私の前に一人、そして私の後ろに二人。

普段注文するとき、

目の前にいる店員さんを待たせてはいけない…

はやく注文しないと列が伸びてしまう…

と思い、メニュー表を見て、焦る焦る。

しかし今日という日は、もう注文するものが決まっているのだ…勝ったも同然、この勝負…!(勝負でもないものを勝手に勝負事にしたがる)

なんて思っていたら私の注文をとろうとする店員さん。

メニュー表も見ず、なぜか少し誇らしげに、

「カフェ・ショコラのSサイズください」

と一言。

「340円です」

ポケットから550円を出す、ついでにメニュー表に目をやった。

もちろん冬季限定であろうカフェ・ショコラの写真は大きく載せられていた。

そこまでは良かった、とても良かった、そこまでは。

 

その数秒後、愕然とした。

 

注文したカフェ・ショコラの隣には、ココアの上に複数のマシュマロが乗っているマシュマロ・ショコラの写真と文字が。

 

メニュー表なんて見なきゃ良かった・・・

 

まだ作り出す前だったため、今なら変更することも可能だったが

店員さんのレジを打ち直す手間、数秒のタイムロス、そして後ろに並ぶお客さんたちが苛立つことをを想像したら、

呑気に

「やっぱりマシュマロ・ショコラで…」

なんて言えなかった。

 

結局その日は、誇らしげに頼んだカフェ・ショコラをのんだ。美味しかった。

 

 

 

それにしても、周りの目が気になる。

 

私は、ずっと、もっと自分はできた人間だと思っていた。

人一倍優しく、責任感もあり、なんでも器用にこなす・・・・

そんな人間だったはずなのだ

いや、今考えてみれば、そう思い込んでいたのかもしれない。

本当は ギターだってもっと上手に弾けたはずだし、

もっと面白い歌が作れたはずだし、

もっと綺麗な絵が描けたはずだし、

もっと人を引き込むような文章が書けたはずだし、

私はもっと面白く生きていくつもりだった。

 

だけど、

いつでも誰にでも優しくなんてできない、嫌いな人だっている、

楽な方ばっかり考えて、適当に、なんとかやっている、

自分の、ギターも歌も絵も文章も、あるとき突然つまらない退屈なものに思えた。

 

でも、そのとき私は、悲しくなんてなかった、

むしろ安心したのだ。

 

私は普通の19歳の女の子なんだ、

特別可愛くなくても、面白くなくても、なにも出来なくても、

幸せになれるんだ、普通の、正常な、幸せを感じられる心があるのだから。と

 

 

その日から、ステージ上で叫んだり走り回ったり頑張ったり、

同世代のシンガーソングライター、美大生、アートワーク、趣味:カメラ、被写体などのネットストーカーをしたり、

電車のなかで鼻にティッシュをつめたり、冷えピタを貼って外にでたり、風鈴を持ち歩いたり、

そういう日常がぱったりなくなった。

 

 

周りの目をきにして、迷惑にならないように、

相手のためになるように、愛する人を真っ直ぐ愛し、愛され、

小さな幸せから大きな幸せまで、きちんと感じられるようになった。

 

常識というものが存在するくらいなのだから、

周りの目を気にすることは、普通のことだろう。

私はこれから、そうやって生きていくし、その度、普通の女の子なんだ と安心するのだろう。

 

 

自分自身に自信を失ってしまったようだけれど、

今もこれからも、ずっと幸せでい続けられる自信だけはある。

 

 

これは、十分普通じゃないのかもそれない・・・・

 

 

 

 

 

気になるあの子は、成人式に出席していないようだった

 

1月9日、地面は少し濡れていたものの、雨はすっかり上がっていた

なんでもない、普通の朝

 

おじさんはみんな振袖姿を見たく思い、おばさんはみんな若さを羨ましく思っていた

大人は言う、成人式は一生に一度しかない、大切な式だと

一生に一度 よりも、いつもの毎日 が好きな私は、いつも通り働いて、いつも通り好きな人とお家に帰って、いつも通り美味しいごはんを食べて眠った

 

 

背伸びをして未来に向かって手を伸ばす、描き終わったものを高々と見下ろす、今どちらでもない私は、毎日地面に足をつけながら一歩一歩進んでいる

 

 

 

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毎日がびっくりするほど幸せな私だけど、無性に好きだった友達に会いたくなる。(今も好きだけど)

でも、何ヶ月も何年も会っていないということは、お互いが存在しなくても支障がなく、全く別々の日々を送っているのだと考えると、簡単に会おうだなんて言えないものだ。

 

きっとみんな、少しづつかもしれないけど変わっているだろうし、少しづつかもしれないけど前に進んでいるだろうし、それは私も同じだもん。

 

 

ふ〜。年末になるね